4月29日(土)プロデューサーとして活動するGOD(株式会社ゴッドワールドエンターテインメント所属)とシータ波シンガーとして活動するSIZUKUが中野区にある映画館「ポレポレ東中野」を訪れた。この日は『Life work of Akira Kurosawa 黒澤明のライフワーク』再上映の公開初日だったからだ。
この映画は1985年に公開された黒澤明監督『乱』のドキュメンタリー映画として河村光彦監督が手掛けた作品で、当時大学生だった河村光彦はメイキング撮影班として現場に参加した。当時、彼とその仲間が記録した素材は約150時間分。その素材を基にメイキングやTV特番が発表され、そのあと河村の手から映像は離れて行き、黒澤明の没後、1998年にその撮影素材テープを発見するが当時の記録媒体はアナログの3/4インチのテープ素材だった。この素材の一部をデジタル化して編集を開始し、各プロダクションや出演者の許諾を得て黒澤明監督没後25年 サングラスの下の素顔に迫るドキュメンタリー映画として完成した。河村光彦監督はこれまでに最優秀ドキュメンタリー短編映画賞や監督賞、名誉賞など、9か国の国際映画祭で受賞している。その河村光彦監督が公開初日に舞台挨拶をする予定でしたが直前に脳梗塞で倒れ緊急入院となり、監督の代理として急遽舞台挨拶に登壇する事になったのが長年の友人で世界的ギターリストの高谷秀司だった。そこで高谷秀司はユニット「三神」として共に活動するGODとSIZUKUに応援を求め、黒澤明監督没後25年にふさわしいオリジナル曲を特別バージョンとしてGODの作詞により「大吟醸~黒澤明監督に捧げるレクイエム~」として披露し、会場は大いに盛り上がり、公演後、三神のメンバーは観客らとの記念撮影に応じていた。
この映画は1985年に公開された黒澤明監督『乱』のドキュメンタリー映画として河村光彦監督が手掛けた作品で、当時大学生だった河村光彦はメイキング撮影班として現場に参加した。当時、彼とその仲間が記録した素材は約150時間分。その素材を基にメイキングやTV特番が発表され、そのあと河村の手から映像は離れて行き、黒澤明の没後、1998年にその撮影素材テープを発見するが当時の記録媒体はアナログの3/4インチのテープ素材だった。この素材の一部をデジタル化して編集を開始し、各プロダクションや出演者の許諾を得て黒澤明監督没後25年 サングラスの下の素顔に迫るドキュメンタリー映画として完成した。河村光彦監督はこれまでに最優秀ドキュメンタリー短編映画賞や監督賞、名誉賞など、9か国の国際映画祭で受賞している。その河村光彦監督が公開初日に舞台挨拶をする予定でしたが直前に脳梗塞で倒れ緊急入院となり、監督の代理として急遽舞台挨拶に登壇する事になったのが長年の友人で世界的ギターリストの高谷秀司だった。そこで高谷秀司はユニット「三神」として共に活動するGODとSIZUKUに応援を求め、黒澤明監督没後25年にふさわしいオリジナル曲を特別バージョンとしてGODの作詞により「大吟醸~黒澤明監督に捧げるレクイエム~」として披露し、会場は大いに盛り上がり、公演後、三神のメンバーは観客らとの記念撮影に応じていた。
観客の中には菊池桃子主演映画「パンツの穴」のプロデューサー榎本靖や話題のドラマGODドクター&GODドクターNEOXのチーフプロデューサーの藤倉親宏、準ヒロインの夏風巫和人、出版プロデューサーのChariaや、GODとSIZUKUの専属
マネージャー達などがいた。
マネージャー達などがいた。
病床でこの日の事を案じていた河村光彦監督は、劇場に足を運んだ友人(キネマ旬報 文化映画審査員 松本侑壬子さん)に「イベントはいかがでしたか?多くの人に見て頂きたくて今回強引に企画しました」と投げかけたところ、「ちょっと初めは驚いたけど、あなたへの友情あふれるトークは良かった。歌もあの場にふさわしくいい感じでした。緊急事態にはせ参じてくれるお仲間がいてよかったですね」と返事が返ってきたそうです。
河村光彦監督『Life work of Akira Kurosawa 黒澤明のライフワーク』
ポレポレ東中野 5月12日(金)まで上映
https://pole2.co.jp/coming/ece34b8f-face-49bc-82a9-6ddf35a4fa6c
株式会社ゴッドワールドエンターテインメント公式ホームページ
https://godworldenter.grupo.jp/
ポレポレ東中野 5月12日(金)まで上映
https://pole2.co.jp/coming/ece34b8f-face-49bc-82a9-6ddf35a4fa6c
株式会社ゴッドワールドエンターテインメント公式ホームページ
https://godworldenter.grupo.jp/