総合金融サービス(https://p-m-g.tokyo/)を展開するピーエムジー株式会社(本社:東京都新宿区、代表取締役:佐藤貢)は、2022~2023年の年末年始の休暇から、新制度『親孝行手当』を開始し、10名の社員が利用しました。
『親孝行手当』の支給の条件である「家族写真とエピソード記事」を掲載した社内報「PMG TIMES」が、2023年1月13日(金)に発行されました。
『親孝行手当』の支給の条件である「家族写真とエピソード記事」を掲載した社内報「PMG TIMES」が、2023年1月13日(金)に発行されました。
■実家での時間は“親孝行”優先 壮絶な子供時代を過ごした社長の経験から制定
当社は、年末年始の帰省の交通費を会社が負担する『親孝行手当』を開始しました。この『親孝行手当』の支給の条件は、帰省中に家族と過ごしたエピソードの記事と、家族と撮影した写真を、社内報に掲載することです。初めて『親孝行手当』の記事を掲載した社内報は、2023年1月13日に発行され、10名の社員が利用しました。
利用した社員からは、「コロナ禍で久しぶりの帰省を親とゆっくり過ごすことができた」「このような強制力がなかったら恥ずかしくて家族との写真は撮れなかったので良い機会になった」「帰省時は友達と過ごすことが多かったが、初めて家族優先で過ごして、親に感謝の言葉を伝えることができた」など、『親孝行手当』のおかげで2年ぶりの行動制限がない年末年始に“親孝行”した社員が、有意義な時間を過ごしたことを実感しました。
当社は、代表の佐藤が35歳、社員の平均年齢が31歳と、若い社長・社員で構成されています。
なかでも代表佐藤は、壮絶な子供時代を過ごした経験から、親孝行できる環境に憧れがあり、社員には若い時から家族とのつながりを大事にして後悔してほしくないとの思いから、『親孝行手当』の制定に至りました。
佐藤の父は埼玉、母は石垣島出身で、幼少期は埼玉で過ごしました。小学校2年生で両親が離婚、父に引き取られるもほぼ育児放棄の状態で、給食費が払えないほどの貧困状態でした。小学校6年生の時に、父は日本語があまり話せないフィリピン人の女性と再婚し、腹違いの兄弟が生まれます。中学校3年生の時にはついに父が自己破産し、ほどなくその父は癌で他界するという悲劇に見舞われました。お金もなく、家に居場所もなく、近くに住んでいた祖母も手を貸してくれず、15歳にして流浪の生活を始めることになりました。高校に入るお金がなく、土木建設業の職に就きますが、「スーツを着て東京で働きたい」という一心で、20歳で偶然出会った金融業界に入ります。ここで少年期に培ったハングリー精神を発揮し、めきめきと頭角を現し、2年後にはトップセールスマンに登り詰め、27歳で独立を果たすまでになります。
このように、佐藤は家族の愛情に飢えた幼少期を過ごした経験から、社員には“親孝行ができる幸せ”をきちんと味わい、家族の期待を一身に受けてそのエネルギーを糧に仕事に邁進してほしいと考え、『親孝行手当』を制定しました。
当社は、社長や社員同士が家族のように温かい関係性でつながっている一方で、業務に対しては成果の分だけ這い上がれる評価制度があるなど、厳しい面もあります。若い社員が自立した姿を親に見せて安心させてあげることも“親孝行”と考え、今後も社員の成長を促し、社会課題を解決できる社員の育成を目指します。
【親孝行手当 概要】
制度名称 :親孝行手当
利用開始 :2022年~2023年の年末年始休暇より
制度内容 :帰省時の交通費を会社が全額負担
利用条件 :帰省中に家族と過ごしたエピソードの記事と家族写真を社内報に掲載すること
社内報発行日:2023年1月13日
利用社員数 :10名
【会社概要】
社名 :ピーエムジー株式会社
代表者 :代表取締役 佐藤 貢
所在地 :東京都新宿区西新宿2-4-1 新宿NSビル25階
設立 :2015年6月
資本金 :9,000万円
従業員数:70名(2022年11月現在)
事業内容:金融支援、営業支援、財務支援などによる総合成長支援事業
URL : https://p-m-g.tokyo/
https://p-m-g.tokyo/monetization
【ピーエムジー株式会社 代表取締役 佐藤 貢】
1987年、母の故郷である沖縄県・石垣島で生まれ、埼玉県で育つ。
小学生の頃は成績優秀で学級委員長などを務め、幼少期からリーダーシップを発揮。両親の離婚、父との死別により、15歳で帰る家を失う。
中学校卒業後、職人として働き始めるが、職を転々とする日々を過ごす。20歳で金融会社に就職。24歳で独立してさまざまな事業を運営した後、「ファクタリング」に出合い、27歳の時にピーエムジー株式会社を創業。
経営が突然の雨に見舞われた時こそ「傘を貸す」事業を展開し、真のパートナーとなって経営者と“二人三脚”で未来を創る企業を目指している。
当社は、年末年始の帰省の交通費を会社が負担する『親孝行手当』を開始しました。この『親孝行手当』の支給の条件は、帰省中に家族と過ごしたエピソードの記事と、家族と撮影した写真を、社内報に掲載することです。初めて『親孝行手当』の記事を掲載した社内報は、2023年1月13日に発行され、10名の社員が利用しました。
利用した社員からは、「コロナ禍で久しぶりの帰省を親とゆっくり過ごすことができた」「このような強制力がなかったら恥ずかしくて家族との写真は撮れなかったので良い機会になった」「帰省時は友達と過ごすことが多かったが、初めて家族優先で過ごして、親に感謝の言葉を伝えることができた」など、『親孝行手当』のおかげで2年ぶりの行動制限がない年末年始に“親孝行”した社員が、有意義な時間を過ごしたことを実感しました。
当社は、代表の佐藤が35歳、社員の平均年齢が31歳と、若い社長・社員で構成されています。
なかでも代表佐藤は、壮絶な子供時代を過ごした経験から、親孝行できる環境に憧れがあり、社員には若い時から家族とのつながりを大事にして後悔してほしくないとの思いから、『親孝行手当』の制定に至りました。
佐藤の父は埼玉、母は石垣島出身で、幼少期は埼玉で過ごしました。小学校2年生で両親が離婚、父に引き取られるもほぼ育児放棄の状態で、給食費が払えないほどの貧困状態でした。小学校6年生の時に、父は日本語があまり話せないフィリピン人の女性と再婚し、腹違いの兄弟が生まれます。中学校3年生の時にはついに父が自己破産し、ほどなくその父は癌で他界するという悲劇に見舞われました。お金もなく、家に居場所もなく、近くに住んでいた祖母も手を貸してくれず、15歳にして流浪の生活を始めることになりました。高校に入るお金がなく、土木建設業の職に就きますが、「スーツを着て東京で働きたい」という一心で、20歳で偶然出会った金融業界に入ります。ここで少年期に培ったハングリー精神を発揮し、めきめきと頭角を現し、2年後にはトップセールスマンに登り詰め、27歳で独立を果たすまでになります。
このように、佐藤は家族の愛情に飢えた幼少期を過ごした経験から、社員には“親孝行ができる幸せ”をきちんと味わい、家族の期待を一身に受けてそのエネルギーを糧に仕事に邁進してほしいと考え、『親孝行手当』を制定しました。
当社は、社長や社員同士が家族のように温かい関係性でつながっている一方で、業務に対しては成果の分だけ這い上がれる評価制度があるなど、厳しい面もあります。若い社員が自立した姿を親に見せて安心させてあげることも“親孝行”と考え、今後も社員の成長を促し、社会課題を解決できる社員の育成を目指します。
【親孝行手当 概要】
制度名称 :親孝行手当
利用開始 :2022年~2023年の年末年始休暇より
制度内容 :帰省時の交通費を会社が全額負担
利用条件 :帰省中に家族と過ごしたエピソードの記事と家族写真を社内報に掲載すること
社内報発行日:2023年1月13日
利用社員数 :10名
【会社概要】
社名 :ピーエムジー株式会社
代表者 :代表取締役 佐藤 貢
所在地 :東京都新宿区西新宿2-4-1 新宿NSビル25階
設立 :2015年6月
資本金 :9,000万円
従業員数:70名(2022年11月現在)
事業内容:金融支援、営業支援、財務支援などによる総合成長支援事業
URL : https://p-m-g.tokyo/
https://p-m-g.tokyo/monetization
【ピーエムジー株式会社 代表取締役 佐藤 貢】
1987年、母の故郷である沖縄県・石垣島で生まれ、埼玉県で育つ。
小学生の頃は成績優秀で学級委員長などを務め、幼少期からリーダーシップを発揮。両親の離婚、父との死別により、15歳で帰る家を失う。
中学校卒業後、職人として働き始めるが、職を転々とする日々を過ごす。20歳で金融会社に就職。24歳で独立してさまざまな事業を運営した後、「ファクタリング」に出合い、27歳の時にピーエムジー株式会社を創業。
経営が突然の雨に見舞われた時こそ「傘を貸す」事業を展開し、真のパートナーとなって経営者と“二人三脚”で未来を創る企業を目指している。
【本件に関する報道関係者からのお問い合わせ先】
ピーエムジー広報事務局 担当:福土
MOBILE:080-6538-6292
TEL:03-5411-0066 FAX:03-3401-7788
E-mail:pr@netamoto.co.jp
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MOBILE:080-6538-6292
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E-mail:pr@netamoto.co.jp