報道関係者各位
2016年3月2日
株式会社ウエディングパーク
男女雇用機会均等法施行から30年、考えたい女性キャリアのこれから
女性関連企業3社合同「定年女子セミナー」開催
元『日経WOMAN』編集長・野村浩子氏も登壇
「70歳まで働く可能性」と「働き続ける為の“捨てる勇気”」とは
結婚式場の日本最大級のクチコミサイトを運営する株式会社ウエディングパーク(本社:東京都港区、代表取締役社長:日紫喜 誠吾 以下ウエディングパーク)は、2月18日に20代・30代女性限定の朝活イベント「定年女子セミナー」と銘打ち、「定年まで働き続けられる女子になるためには?」を議題にパネルディスカッションイベントを実施しました。
モデレーターは『定年が見えてきた女性たちへ』など働く女性のキャリアに関する著書を持つ、元『日経WOMAN』編集長で淑徳大学教授の野村浩子氏が登壇。パネリストに、働く女性の活躍を応援する企業として、「結婚」「妊娠・出産」「子育て」の各ライフイベントを事業とする、株式会社ウエディングパーク メディア開発本部リーダー兼ブランドマネージャーの菊地亜希と、株式会社エムティーアイ ルナルナ事業部 事業部長の日根麻綾氏、株式会社Woman&Crowd(ウーマンクラウド)代表取締役社長の石田裕子氏が出席しました。
2016年3月2日
株式会社ウエディングパーク
男女雇用機会均等法施行から30年、考えたい女性キャリアのこれから
女性関連企業3社合同「定年女子セミナー」開催
元『日経WOMAN』編集長・野村浩子氏も登壇
「70歳まで働く可能性」と「働き続ける為の“捨てる勇気”」とは
結婚式場の日本最大級のクチコミサイトを運営する株式会社ウエディングパーク(本社:東京都港区、代表取締役社長:日紫喜 誠吾 以下ウエディングパーク)は、2月18日に20代・30代女性限定の朝活イベント「定年女子セミナー」と銘打ち、「定年まで働き続けられる女子になるためには?」を議題にパネルディスカッションイベントを実施しました。
モデレーターは『定年が見えてきた女性たちへ』など働く女性のキャリアに関する著書を持つ、元『日経WOMAN』編集長で淑徳大学教授の野村浩子氏が登壇。パネリストに、働く女性の活躍を応援する企業として、「結婚」「妊娠・出産」「子育て」の各ライフイベントを事業とする、株式会社ウエディングパーク メディア開発本部リーダー兼ブランドマネージャーの菊地亜希と、株式会社エムティーアイ ルナルナ事業部 事業部長の日根麻綾氏、株式会社Woman&Crowd(ウーマンクラウド)代表取締役社長の石田裕子氏が出席しました。
本セミナー開催の背景として、女性たちも、男性と同じように「定年」まで働くことが現実味を帯びてきたことが挙げられます。
1986年に男女雇用機会均等法が施行され今年で30年、民間企業に女性総合職として入社した第一世代は50代にさしかかっています。また、今年4月から安倍政権の目玉政策のひとつ女性活躍推進法が施行されることで、各業界で女性の進出や管理職登用の加速が予想されます。しかし、「結婚」「妊娠・出産」「子育て」という目先のライフステージに目を奪われ、定年まで働くというキャリアをイメージできる女性はどれだけいるのでしょうか。
今回の議論では、専門家の意見を交えながら、各企業で社長や管理職として第一線で活躍する女性たちの生の声をもとに議論を深めました。20代・30代女性が今後の各ライフステージに合わせたキャリア、そして定年まで働くことを見据えたライフデザインを考えるきっかけづくりの場となりました。
第一部:元『日経WOMAN』編集長・野村浩子氏 登壇
パネルディスカッションのオープニングアクトとして、野村氏が登場。トークテーマは、「定年女子のこれまでと、これから」です。
野村氏によれば、そもそも定年とは、人事的な意味合いにおいて「年齢による一律解雇」と定義されており、日本独特な文化だといます。現在では男女差別なく定められた定年ですが、その歴史を野村氏は紐解いていきました。
1960年代までは、女性は結婚したら家庭生活が中心になるという理由で退職を促す「女子結婚退職制度」があったそう。その後、「女子30歳定年」など男性の定年と大きく差をつける制度も生まれました。日本企業の年功型賃金のもとでは、女性の事務職の勤続年数が延びると給料が上がってしまう、企業は補助的な仕事をする女性社員に男性と同レベルの高い賃金を払いたくないという考え方があったからだといいます。
そして、話は女性のライフイベントの中でも重要な位置を占める「産前産後」へ。その先に待つ産後に復帰した子育て社員を管理職はどう見ているのでしょうか。
「実は管理職は困っているんです。育休から復帰した社員がどれくらい頑張れるのか、頑張りたいのか人によって違う。この仕事を子育て中の女性社員に任せると土曜出勤になる、残業が多くなるからと遠慮をして、動きやすい独身男性に仕事を任せるという無意識の配慮をしがちです。よかれと思っての配慮から、少しずつ男女の経験の差が開いていくのです。現在、多くの企業がそうした管理職のバイヤスを取り除くための研修を取り入れています」
また、評価についてもこう続けました。
「企業の人事考課はSから始まり、A~Dまでなど5段階くらいに分かれている。そうすると、誰かにCとかDの低い評価をつけなくてはいけないんですね。時短制度で働く子育て女性はその対象になりがちで、短時間で結果を出していても、長時間働いて、それなりの結果を出す男性のほうが良い評価がつく傾向があります。時間ではなく成果で評価すべきだと、評価基準を見直す動きはありますが、今でも長時間労働を是とする文化が根強く残っているのです。でも人生は長い。育休から復帰した直後に納得できない評価をされたとしても短気を起こしてはいけません」
最後は定年女子のこれからについて。高齢化が進み、定年が引き上げられる流れの中、「これからは70歳まで働くのが当たり前になる可能性がある」と話した野村氏。その理由はマネープランに関係があるといいます。
「90歳女性の生存率は2人に1人というデータもあります。例えば、私の家系は長生きなので、おひとりさまの私が100歳まで生きた場合でマネープランを算出したところ、60歳もしくは65歳でリタイアをすると、どうしても88歳、89歳のあたりで家計が赤字に転落してしまうんです。ところが70歳まで現役で働ければ、心配ないとわかりました。その年齢まで必要とされる人間になろうと思って腹をくくりました」
会場では終始、熱心に傾聴し頷く参加者らの姿が見られました。
第二部:女性向けネットメディア3社によるパネルディスカッション
第二部では、ウエディングパークの菊地、Woman&Crowdの石田氏、エムティーアイの日根氏が加わり、以下のテーマでパネルディスカッションを実施しました。
――定年まで働くイメージはあるか?
菊地:私の場合、祖母も母も定年まで仕事をしていますし、専業主婦が身内に少ない環境で育ったので、定年まで働くことは、イメージしやすく自然なものでした。野村さんの本を読んで私の環境は特殊だったと気付くくらいで。
野村:身近にモデルいるのはいいですね。つい最近フランスで取材をしたのですが、周りに3.4人子どもがいて仕事を続けている先輩が普通にいるので、働きながら子育てをすることに不安がなかったと皆言います。刷り込みというのは大事ですね。
石田:正直に申し上げると、定年は考えたことがないですね。結婚は何歳まで、とかや出産は何歳までに、と計算するタイプではなかったので。なので、何歳まで働こう、というのも考えたことがないです。心身ともに健康で元気ならば期限を決めず、何歳まででもその時に合わせた働き方で働いていたいといった感じです。
野村:計算しないってところがいいですね。
日根:現在は事業統括をしていますが、もともとはSEとして入社して、25歳のときに寿退社しました。結果的にその時は結婚しなくて、実家に戻って1年くらいぷらぷらして、やっぱり働きたいなと思ったのが今の会社でした。今では仕事は私のアイデンティティとなっています。もともとずっと働きたいとは思っていなかったのに、今の会社でがむしゃらに働いているうちに そうなったんです。あと実は私も65歳までのマネープランを算出しています。
野村:しっかりしてらっしゃいますね。65歳まで算出した方、初めてお会いしました。
――ライフイベントでのキャリア中断をどう思うか?
菊地:結婚して、よりキャリアの終わりを意識するようになりました。大学生のときに、未来の夫となる彼の仕事が海外出張や転勤もあると聞いて、漠然と、就職しても仕事を辞めるかもしれないなと思った経験があります。そのとき感じたように、結婚後には、自分だけでは先のことが判断しにくくなったと思いますね。だから、もしかしたら、明日キャリアが途絶えても後悔しないように仕事をしています。
野村:キャリアの中断は仕方ないという認識ですか?
菊地:実は27歳のときに傷病休職でキャリアが中断するかもしれない経験をしました。しかしその後、復職して、今の会社では管理職をしています。もともと管理職はやりたくなかったのが本音ですが(笑)。仕事内容に固執せず、ニーズに応える意識があれば、いつでも復活できると気づけたのは大きかったと思います。ですから、中断については、あまり深刻に考えていません。
石田:今振り返ると、キャリアを中断することが怖いという気持ちが強かったのかもしれません。私は子どもが2人いますが、上の子を出産した直後、早く会社に戻らないと自分のポジションがないんじゃないか、自分がいなくても会社がちゃんと回ることが怖い、という気持ちがありました。だから、産後2か月ですぐに復帰したんです。あらゆる手段を駆使してキャリアを中断しない方法を模索していたんだと思います。
野村:社長でお子さん2人はすごい。産後2か月で復帰は早いですね。
石田:1人目を出産した時は営業統括を務めていましたが、産休中、不在で迷惑をかけてしまうのに快く送り出してくれた会社に対して、早く戻ってもっと結果を出さないと、という思いが強かったのだと思います。
野村:2人目はいつだったんですか?
石田:1年半前の社長就任時です。実は今のWoman&Crowdの会社化の前にも子会社の経営をしていたのですが、2人目を出産した直後にその会社の撤退が決まり、復職と同時に今の会社の立ち上げが決まったんです。とても大変な状況下でしたが、自分だけでなく、夫はもちろん両親のサポート、会社の皆さんのサポートがあって、なんとか乗り越えられたと思います。
野村:育休の期間についてですが、最近では1年くらい休むのが一般的になっている中で、長く休めるならフルで使おうと思う人もいますよね。育休の長さはこのくらいがいいといった、何か基準はありますか?
石田:適切な育休期間というのはないと思います。1人1人環境も違えば、サポート体制も違うので、1年が正しいわけでも、長ければ長いほど良いというわけでもないと思います。逆にできるだけ早く戻ろうと慌てる必要もないです。ただ、3年とか育休期間が長すぎると、復帰してから勘を取り戻すのが大変かもしれないですね。いずれにしても、働きながら育児をするという覚悟が必要です。
日根:今の石田さんの1人目の時の不安、とてもわかります。妊娠がわかったときどうしよう。このタイミングじゃない。今、休んだら戻れない、責任もあるし……。でも、今思えばその迷いが良かったと思うんです。今のポジションにずっといる必要はない。ぜんぜん違う部署でもいい。30年40年働くことを考えるなら、自分の幅を広げる意味で新しいチャンスとしてとらえればいい。
野村:そうですね。どこかで捨てる勇気も必要だと思います。定年を迎えた女性を取材してみると、皆さんそうでした。私はこれをやってきた、これを生かして何かをやりたいと、それまでのキャリアにこだわっている方ほど苦しんでいるようです。一方で過去の成功体験をいったん捨てた方は、新たなことを見つけて、清々しい顔をしているように感じました。
――定年まで働き続けるためには何が必要か?
菊地:特殊な表現なのですが「次にまたキャスティングされる人材でいよう」という意識を持つことです。タレントや女優さんの仕事には、定年がないですよね。子役からはじまって、若いときはヒロイン、年老いたら名脇役というように、そのときどき、ニーズに応えてずっと長く活躍する方がたくさんいます。これって、長く働くイメージがすごくつきやすい例だと思いませんか? 求められる存在には、やはりそれに応えられる柔軟さが重要じゃないかと。
野村:柔軟さとはどういうことでしょう?
菊地:なんでもやります精神というか、自分を求めてくれる仕事があるならば、まず引き受けてみる。チャレンジして、失敗するかもしれないけれど、そのときそのとき、一生懸命やるということです。
石田:自分で立てた計画に縛られすぎる必要はないと思うんです。ネット業界は極端な話、2.3カ月先はわからない。キャリアプランは、1つだけでなく2、3パターンもあってもいいと思います。そのときの状況に応じて、予想していなかった事態を楽しむ気持ちが大事ですよね。
野村:2、3パターンいいですね!
石田:複数のプランを想像しておくことで、たとえ計画通り行かなくても心構えがあれば軌道修正がききます。菊地さんも仰っていた通り、柔軟性を持って変化を楽しめるといいですよね。
日根:3年後を予想してその通りになることはなくて、1年後でさえそうでした。すべての出来事に対して縁だと思い、それに意味がきっとあると思えれば、次に進むことができます。そして、他者の多様化した働き方を受け入れることです。もちろん自分がそうなる前に。そのときにその人を受け入れたかどうかで今後の周囲の 協力体制が変わってくるはず。まずは自分から受け入れることが大事だと思います。ルナルナとして“ 産み時”について話させてください。やはり、リミットがあります。キャリアを優先し後から子供がほしいと思っても、年齢のせいで 時間がかかる事例を多く見てきました。リミットがあるという事だけは知っていてほしいですね。
野村:やっぱり妊娠は35歳くらいで壁を感じる人が多いようですね。キャリアのために産み時を戦略的に考えても、上手くいくとは限りません。あまり先延ばしをせずに、“なんとかなる”くらいの気持ちの方がいいのかもしれません。さて、パネリストの皆さんからステキなキーワードがたくさんあがりましたね。先ほど捨てる勇気も必要だと言いましたが、「変わる勇気」ともいえますね。皆さんの体験談から楽しく働き続けるヒントを頂いたのではないでしょうか。
第三部:ワーク&各テーブルによる発表会&懇親会
第三部では、参加女性たちが4~5名のグループに分かれ、今回のセミナーを通して、定年時のイメージをイラスト化するテーブルワークが実施されました。また、それを実現するために必要なことを発表しました。
具体的には、イラストの自分がどんな人物か仕事をしているのか、ポジションや結婚の有無などを明文化。最後に「理想の定年女子になるために今必要なコト」をチーム内で発表し、各代表者が発表しました。
各代表者の主な意見
「ハワイに住むため英語を話せるようになる」「パートナーを大切にする」
▼セミナー参加者の声
「周りに子どもを産んでから復帰している人が少なかったので、第一線で活躍する方のお話を聞けて大変ためになりました」(20代)「働くか子どもかの二者択一と思い込んでいましたが、両立という選択肢もあるのだとセミナーで気づくことができました」(30代)
今回の議論は20代・30代女性たちにとって、「結婚」「妊娠・出産」「子育て」の各ライフイベントをベースに、キャリア構築もおろそかにせずに自分らしいライフデザインを考える貴重な機会となりました。
▼サマリー
・女性の定年にはかつて「女子結婚退職制度」「女子30歳定年」などがあった。
・野村氏によれば、将来的に70歳まで働くことが普通になる可能性が大。女性の2人に1人は90歳まで存命、年金受給年齢引き上げと定年の延長も考えられる。
・野村氏が取材した定年女子の共通点は「捨てる勇気、変わる勇気がある」
・管理職は産後に復帰した社員に「実は困っている」「無意識の配慮から仕事を任せない傾向あり」
・キャリア中断は「ニーズに応える意識があれば復活可」「怖かった」「新しいチャンス」
・産み時は「35歳くらいが壁」「キャリアとのバランスが重要」
・育休の取得期間の目安は「まったくない」「長期取得・短期取得いずれも覚悟が必要」
・女性が定年まで働くキャリアのヒント「求められるなら何でもやります精神」「柔軟性をもって変化を楽しむ」「女性の多様な働き方をまずは自分が受け入れること」
【モデレータープロフィール】
野村浩子(ノムラ ヒロコ)ジャーナリスト・淑徳大学教授
62年生まれ。84年お茶の水女子大学文教育学部卒業。就職情報会社ユー・ピー・ユーを経て、88年、日経ホーム出版社(現日経BP社)発行のビジネスマン向け月刊誌「日経アントロポス」の創刊チームに加わる。95年「日経WOMAN」編集部に移り副編集長に、2003年1月から編集長。2006年12月、日本初の女性リーダー向け雑誌「日経EW」編集長に就任。2007年9月、日本経済新聞社・編集委員。2012年4月、日経BP社日経マネー編集部副編集長。2014年4月から、淑徳大学人文学部表現学科長・教授。著書に「働く女性の24時間」(日本経済新聞出版社刊)、「定年が見えてきた女性たちへ」(WAVE出版社)。
【パネリストプロフィール】
株式会社 ウエディングパーク │メディア開発本部 リーダー兼ブランドマネージャー 菊地 亜希
大学在学中よりフリーライターとして活動し、2004年フリーカルチャーマガジン『Wooly』を初代編集長としてはじめる。2006年にサイバーエージェントに新卒入社。生活情報サイトやQ&Aサイトなど、複数のメディア立ち上げ・運営に携わる。ウエディングパークではメディア開発本部に所属し、新サービスの開発やコンテンツ編集・運用などを担当する傍ら、ブランドマネージャーとして2014年6月、同社の10周年ブランドリニューアルを担当。また、女性管理職としてメディア部門のメンバー育成・採用にもかかわる。
株式会社 Woman&Crowd(ウーマンクラウド) │代表取締役社長 石田 裕子
株式会社Woman&Crowd 代表取締役社長 (サイバーエージェント100%子会社)
慶応義塾大学卒業後、2004年にサイバーエージェント入社。アカウントプランナー(広告営業職)として実績を上げ、2006年にチームリーダー、2008年にマネジャーに昇格し、同年には初の女性局長、その後女性統括に就任。2011年10月より、当時会社の命運を賭けたスマートフォン向け「Ameba」の開発に携わる。2013年2月には、スマートフォン向けオークション事業の子会社「パシャオク」の代表取締役社長に就任。そして、2014年9月に女性の働き方を支援する子会社「Woman&Crowd(旧STRIDE)」を設立、代表取締役社長に就任。私生活では、2009年に結婚、現在2児の母。
株式会社エムティーアイ│ルナルナ事業部 事業部長 日根 麻綾
システムインテグレーターにSEとして新卒入社ののち、2006年にエムティーアイ入社。子会社の広告代理店にてプロモーションやマーケティング、新規事業立ち上げを経験したのち2012年6月にルナルナ事業部の事業部長に着任。「女性のカラダとココロに寄り添うライフコンパス」というブランドビジョンを掲げ、女性が正しい知識と理解をもってライフデザインをするためのサービスづくりや活動はライフワークにもなっている。
【株式会社ウエディングパーク概要】
社名 株式会社ウエディングパーク(サイバーエージェントグループ)
http://www.weddingpark.net/
所在地 東京都港区南青山3丁目 11-13 新青山東急ビル6F
設立 1999年9月
資本金 1億8,550万円
代表者 代表取締役社長 日紫喜 誠吾
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【本件に関するお問い合わせ先】
株式会社ウエディングパーク 経営本部 コーポレートコミュニケーション室
広報 瀬川/遠藤/山中
TEL:03-5414-2290 FAX:03-5414-2291
E-Mail:pr_wp@weddingpark.co.jp