スリーシェルズは、日活株式会社の原盤提供による映画音楽アーカイヴシリーズをスタートする。
その皮切りは、生誕90年を迎えた作曲家 渡辺宙明の「日活映画音楽傑作選」。
『宇宙刑事ギャバン』や『マジンガーZ』で知られる映像音楽の巨匠が、それ以前に日活映画へ作曲した数々の名曲をアーカイヴ! 渡辺宙明にとって、初の日活映画音楽による1枚もののCD発売となる。
クール&ハードなジャズから、心温まるメロディーまで幅広い作風が展開される。
日本のシネジャズファンは逃せないマストアイテム登場!
収録作品は、渡辺が初めて日活で音楽を担当した『素ッ裸の年令』(鈴木清順監督、赤木圭一郎主演)、森永健次郎監督『太陽のように明るく』『泣くんじゃないぜ』、若杉光夫監督『川っ風野郎たち』『サムライの子』など現存する17作のオリジナルテープよりの傑作選。
スクリーンを彩った数々の名シーンとともにあった幻のメロディーをCDとして再発見!
これぞ日活サウンド!迫力のジャズ、心温まるメロディー、ヒーロー音楽の原点がここにある!
生誕90年記念・渡辺宙明「日活映画音楽傑作選」
発売予定 2015年9月30日
発売レーベル:スリーシェルズ
CD品番 3SCD0023
バーコード番号 4560224350238
価格:3000円(消費税込)税抜き2778円
作曲・監修:渡辺宙明
解説:小林淳
デザイン:田代亜弓
企画・選曲・構成:西耕一(スリーシェルズ)
マスタリング:仁木高史(スリーシェルズ)
協力:日活、宇都宮弘之
原盤:日活株式会社
(C)日活株式会社
その皮切りは、生誕90年を迎えた作曲家 渡辺宙明の「日活映画音楽傑作選」。
『宇宙刑事ギャバン』や『マジンガーZ』で知られる映像音楽の巨匠が、それ以前に日活映画へ作曲した数々の名曲をアーカイヴ! 渡辺宙明にとって、初の日活映画音楽による1枚もののCD発売となる。
クール&ハードなジャズから、心温まるメロディーまで幅広い作風が展開される。
日本のシネジャズファンは逃せないマストアイテム登場!
収録作品は、渡辺が初めて日活で音楽を担当した『素ッ裸の年令』(鈴木清順監督、赤木圭一郎主演)、森永健次郎監督『太陽のように明るく』『泣くんじゃないぜ』、若杉光夫監督『川っ風野郎たち』『サムライの子』など現存する17作のオリジナルテープよりの傑作選。
スクリーンを彩った数々の名シーンとともにあった幻のメロディーをCDとして再発見!
これぞ日活サウンド!迫力のジャズ、心温まるメロディー、ヒーロー音楽の原点がここにある!
生誕90年記念・渡辺宙明「日活映画音楽傑作選」
発売予定 2015年9月30日
発売レーベル:スリーシェルズ
CD品番 3SCD0023
バーコード番号 4560224350238
価格:3000円(消費税込)税抜き2778円
作曲・監修:渡辺宙明
解説:小林淳
デザイン:田代亜弓
企画・選曲・構成:西耕一(スリーシェルズ)
マスタリング:仁木高史(スリーシェルズ)
協力:日活、宇都宮弘之
原盤:日活株式会社
(C)日活株式会社
渡辺宙明「日活映画音楽傑作選」 Japanese Film Composer Archive Series
収録作品 【】内はCDトラック番号
素ッ裸の年令[監督:鈴木清順/1959年9月8日公開]【1~8】
香港秘令0号[監督:吉村廉/1960年3月16日公開]【9~13】
東京のお転婆娘[監督:吉村廉/1961年3月19日公開]【14~20】
花の才月[監督:中島義次/1962年3月28日公開]【21、22】
太陽のように明るく[監督:森永健次郎/1962年5月15日公開]【23~26】
泣くんじゃないぜ[監督:森永健次郎/1962年8月8日公開]【27~30】
若いふたり[監督:堀池清/1962年11月21日公開]【31~33】
十代の河[監督:森永健次郎/1962年11月28日公開]【34~37】
サムライの子[監督:若杉光夫/1963年2月24日公開]【38~41】
どん底だって平ちゃらさ[監督:森永健次郎/1963年3月27日公開]【42~46】
川っ風野郎たち[監督:若杉光夫/1963年4月17日公開]【47】
交換日記[監督:森永健次郎/1963年5月26日公開]【48~52】
真白き富士の嶺[監督:森永健次郎/1963年11月1日公開]【53~59】
こんにちわ20才[監督:森永健次郎/1964年1月25日公開]【60~66】
あゝ青春の胸の血は[監督:森永健次郎/1964年9月9日公開]【67~69】
拳銃無宿 脱獄のブルース[監督:森永健次郎/1965年12月4日公開]【70~82】
太陽が大好き[監督:若杉光夫/1966年5月11日公開]【83】
収録作品 【】内はCDトラック番号
素ッ裸の年令[監督:鈴木清順/1959年9月8日公開]【1~8】
香港秘令0号[監督:吉村廉/1960年3月16日公開]【9~13】
東京のお転婆娘[監督:吉村廉/1961年3月19日公開]【14~20】
花の才月[監督:中島義次/1962年3月28日公開]【21、22】
太陽のように明るく[監督:森永健次郎/1962年5月15日公開]【23~26】
泣くんじゃないぜ[監督:森永健次郎/1962年8月8日公開]【27~30】
若いふたり[監督:堀池清/1962年11月21日公開]【31~33】
十代の河[監督:森永健次郎/1962年11月28日公開]【34~37】
サムライの子[監督:若杉光夫/1963年2月24日公開]【38~41】
どん底だって平ちゃらさ[監督:森永健次郎/1963年3月27日公開]【42~46】
川っ風野郎たち[監督:若杉光夫/1963年4月17日公開]【47】
交換日記[監督:森永健次郎/1963年5月26日公開]【48~52】
真白き富士の嶺[監督:森永健次郎/1963年11月1日公開]【53~59】
こんにちわ20才[監督:森永健次郎/1964年1月25日公開]【60~66】
あゝ青春の胸の血は[監督:森永健次郎/1964年9月9日公開]【67~69】
拳銃無宿 脱獄のブルース[監督:森永健次郎/1965年12月4日公開]【70~82】
太陽が大好き[監督:若杉光夫/1966年5月11日公開]【83】
映画関連文筆家の小林淳による書き下ろしの詳細な解説と渡辺宙明についての音楽論を含む16ページ冊子付き。渡辺宙明の映像音楽についての小林論文を特別公開!
渡辺宙明映像音楽の来し方
渡辺宙明の最初の活躍場は新東宝だった。当時、新東宝は中川信夫、石井輝男、渡辺祐介、赤坂長義、土居通芳ら俊英・気鋭の監督たちが自己の作風を活かした、骨のある作品を発表していた。渡辺の音楽を欲したのが彼らだった。渡辺が映画音楽分野で成功を飾った大きな要因に、彼がこれらの監督たちからの全幅の信頼を獲得できたことがあげられる。
10代の頃から作曲家をめざしていた渡辺は、終戦後、大学だけは出たほうがよい、との父親の助言もあって東京大学文学部心理学科で勉学に励んだ。東大在学時には團伊玖磨から和声法などを学び、大学院時代には諸井三郎にも師事した。その後、中部日本放送(CBC)のラジオドラマの劇音楽の仕事を経て、新東宝からのオファーを契機に映画音楽作曲家の道を歩み始めた。
中川信夫監督作『人形佐七捕物帖 妖艶六死美人』(1956)が第1回担当作となった。続いて赤坂長義監督作『角帽と女子大三人娘』(1957)の音楽を書いた。さらには早々に中川の怪談映画(『怪談累が渕』)の音楽担当依頼が渡辺のもとに来た。こうして“中川・渡辺傑作4部作”、『怪談累が渕』(1957)『亡霊怪猫屋敷』(1958)『東海道四谷怪談』(1959)『地獄』(1960)という、異様な輝きを発する奇形的作品群が生まれてくる。前衛色を帯同させる様式美、妖美感をたゆたわせる頽廃的なその造りは、中川からの衰退の途を突き進む新東宝への、日本映画界への遺言状、ドロドロとした彼の怨念が全編に塗り込められたかのような狂気を感じさせた。こうした中川式怪奇映画に相乗する、不条理なサウンドを渡辺は映画に覆いかぶせた。
歌舞伎様式が採られた『東海道四谷怪談』では歌舞伎の下座音楽を規範とする楽曲を多く付した。脳裏にいつまでもこびりつくタイプの音楽ではない。しかし、映画進行中は鑑賞者を確実に映画世界にひたらせる、絶大なる効果を上げるものだった。それでも“ヒロイン”お岩(若杉嘉津子)にはときに抒情的な旋律も乗せた。音楽がお岩の悲劇をうたう。表象的なサウンド演出が目立つ設計ではあったが、このあたりはツボを得た采配だった。一方、観る者を脳内悪夢におちいらせ、泥酔させ、絢爛かつスペクタクル性に満ちた地獄絵図を見せつける『地獄』では、受け手の感情を音で逆撫でしていきながら、映画空間を正面からあおっていく実験色濃厚な鳴りを要所に配置し、一線を突き抜けた中川の演出、作劇を音楽から受けて立った。まさしく中川の映画世界に相応する音楽意匠だった。
石井輝男も中川信夫とともに映画愛好家からカルト視される監督である。彼も渡辺の音楽に心を寄せたひとりだった。「鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)」シリーズの初期4作品(1957)で両者は出会った。幼年齢者層が主な観客対象となるこれらで渡辺は、映画全体に助勢を加えていく楽曲群を付した。渡辺が映画音楽デビューからまもなくにいわゆるスーパーヒーローものの音楽を書いていた事実は注目に値しよう。
1950年代中期、60年代の中川信夫と石井輝男の作品群と“宙明サウンド”“宙明節”は切り離せない。といっても、1970年代以降から渡辺が数多く担当したアニメ音楽、特撮TV音楽群で現在に広く通用する、聴き手の昂揚感を重要な要素にとらえた音響設計、インパクトに富んだ鳴り、日本的情緒からは一線を画すブルース系ロックサウンドを大胆に使い込んだそれらとは一味も二味も異なり、渡辺映像音楽における新東宝時代のひとつの特徴性にも差し出せる、耳にすんなりとは馴染み込まず、むしろ音響の次元に近い、やや抽象的な響きを立てて映画世界に相応する空気感を聴覚面から呼び込む“宙明サウンド”である。鑑賞の機会が比較的得やすい、石井輝男の前出「鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)」シリーズや『女王蜂の怒り』(1958)『女王蜂と大学の竜』(1960)、『白線秘密地帯』(1958)『黒線地帯』(1960)『黄線地帯(イエローライン)』(同)、通称「ライン」シリーズなどを彩った音楽形態からもそれは十分につかみ取れる。
渡辺が新東宝で自己の映画音楽術を研鑽していった成果は、1950年代後期から進出した日活映画の現場でさっそく機能性を発揮していく。彼の日活進出は、親交のあった映画音楽指揮者・吉澤博の紹介によるものだった。鈴木清順の『素ッ裸の年令』(1959)が初めての日活担当作である。赤木圭一郎の映画初主演作となった同作は、10代の若者たちの生態をリアリスティックに、アナーキーに描く内容だったが、渡辺は新東宝の作品を多く飾ったサウンドとはかなりスタイルを変える、音楽も存在感を正面から打ち出すフォームを敷いた。新東宝時代に種々のアプローチを試み、己の懐を拡げてきたひとつの成果であることは疑いない。『素ッ裸の年令』の劇音楽は、今までの渡辺映画音楽の正中に置かれていた効果音楽の範疇に寄り添った作風から、自己の音楽特性をより横溢させる、どこか殻を突き抜けた感を覚えさせる響きに聞こえた。
『素ッ裸の年令』の音楽は日活社内でも話題を振り撒いたのではないか。渡辺の映画音楽の仕事は日活作品が主流となっていく。日活は観客に爽快感を味わわせる青春映画、映画の楽しさを伝える歌謡映画、骨太の人間ドラマ映画、または若者受けを狙う犯罪活劇映画を大きな持ち味としていた。渡辺が日活で名コンビを組んだ森永健次郎の『太陽のように明るく』(1962)『泣くんじゃないぜ』(同)『どん底だって平ちゃらさ』(1963)『真白き富士の嶺』(同)『こんにちわ20才』(1964)『あゝ青春の胸の血は』(同)『拳銃無宿 脱獄のブルース』(1965)等々、または若杉光夫とのコンビ作『川っ風野郎たち』(1963)『サムライの子』(同)『太陽が大好き』(1966)といった作品群も含め、いずれも日活映画らしいポジティブな造りを提示してくる映画に渡辺も正面から融け込む音楽設計を採り込んだ。それぞれの作品ムードに寄り添う、観る者へ補助の役目もつとめる鳴りを映画に引き込んだ。ときにピアノの内部奏法を導入し、ミュージカルソーやヴィヴラフォン、マリンバ、マラカス、ラテン楽器、ギター、ハーモニカ、サックス、オカリナなどの正規のオーケストラ編成では耳にすることのできない楽器の音を使い込み、音色を鮮烈なものに仕立て上げた。オーソドックスな管弦楽、イージーリスニング風室内楽、ジャズ調、マンボ調、イタリアを主とした外国映画の鳴りにインスパイアされたとも解釈できる音楽様式と、映画の個性と性格をふまえた采配を行った。
新東宝作品を飾った楽曲群が、どちらかといえば効果音楽の方向性に寄る傾向を示していたと思わせるのに対し、日活作品では己の音楽個性、作風、技巧、可能性を探求していった印象が強い。新東宝での中川信夫、石井輝男たちとの協同作業を多く経験することで自己の音楽基盤が強固、広大なものとなり、その土壌を存分に活かしたうえで自信とゆとりを持って日活での仕事にのぞんでいったと受け取れる。製作者や監督、音楽スタッフ側からの要望にいかなる次元からも対応できるキャリアとテクニックが身についていたからでもあろう。
1970年代が中頃にさしかかる時期の1973(昭和48)年に音楽を手がけたアニメーション作品『マジンガーZ』(白根徳重監督/ダイナミックプロ、東映動画)を大きなエポックとしてやがて訪れてくる“宙明ルネッサンス”、“TV特撮・アニメーション劇音楽の巨匠”に向かっての邁進の原動力となった“宙明サウンド”“宙明節”の萌芽をこれら日活作品の響きのなかから探し出すことも可能であろう。“宙明ワールド”のプロトタイプとも形容したくなる音楽世界が、断言しにくい部分もあるのだが、彼の日活担当作から見出せるのだ。
1970年代以降、渡辺の映像音楽は“宙明サウンド”“宙明節”のキーワードとともにあまたの子供たちを虜にしていった。1960年代中期における渡辺貞夫との邂逅、彼から得た教え、より研ぎ澄まされたジャズ感覚の導入も渡辺音楽の小さくない成分となった。渡辺宙明の音楽があったからこそ特撮アニメ作品に付随する劇音楽、効果音楽の価値観がここまで上がった。これは疑いの余地がない。
本年(2015年)8月、卒寿を迎えた日本映像音楽界の泰斗・渡辺宙明は、1950年代後期より新東宝のプログラム・ピクチャー、日活の娯楽映画、人間ドラマ映画、東映京都や大映京都の時代劇映画、ファンタジー映画などで己の音楽技法を研鑽し、磨き上げ、彫り込み、映画音楽作曲を数多く積み重ねることで自己の音楽美学を確固たるものに築き上げていった。“宙明サウンド”“宙明節”は、若かりし頃から今現在に至るまで、彼が映像音楽の仕事に生涯を捧げてきた何よりの証左である。結果である。そのような視点から渡辺の映画音楽作品をあらためて見つめていくと、今まで接することのできなかった、新たな渡辺映像音楽の裾野が眼前に拡がってくるであろう。 (小林淳)
渡辺宙明映像音楽の来し方
渡辺宙明の最初の活躍場は新東宝だった。当時、新東宝は中川信夫、石井輝男、渡辺祐介、赤坂長義、土居通芳ら俊英・気鋭の監督たちが自己の作風を活かした、骨のある作品を発表していた。渡辺の音楽を欲したのが彼らだった。渡辺が映画音楽分野で成功を飾った大きな要因に、彼がこれらの監督たちからの全幅の信頼を獲得できたことがあげられる。
10代の頃から作曲家をめざしていた渡辺は、終戦後、大学だけは出たほうがよい、との父親の助言もあって東京大学文学部心理学科で勉学に励んだ。東大在学時には團伊玖磨から和声法などを学び、大学院時代には諸井三郎にも師事した。その後、中部日本放送(CBC)のラジオドラマの劇音楽の仕事を経て、新東宝からのオファーを契機に映画音楽作曲家の道を歩み始めた。
中川信夫監督作『人形佐七捕物帖 妖艶六死美人』(1956)が第1回担当作となった。続いて赤坂長義監督作『角帽と女子大三人娘』(1957)の音楽を書いた。さらには早々に中川の怪談映画(『怪談累が渕』)の音楽担当依頼が渡辺のもとに来た。こうして“中川・渡辺傑作4部作”、『怪談累が渕』(1957)『亡霊怪猫屋敷』(1958)『東海道四谷怪談』(1959)『地獄』(1960)という、異様な輝きを発する奇形的作品群が生まれてくる。前衛色を帯同させる様式美、妖美感をたゆたわせる頽廃的なその造りは、中川からの衰退の途を突き進む新東宝への、日本映画界への遺言状、ドロドロとした彼の怨念が全編に塗り込められたかのような狂気を感じさせた。こうした中川式怪奇映画に相乗する、不条理なサウンドを渡辺は映画に覆いかぶせた。
歌舞伎様式が採られた『東海道四谷怪談』では歌舞伎の下座音楽を規範とする楽曲を多く付した。脳裏にいつまでもこびりつくタイプの音楽ではない。しかし、映画進行中は鑑賞者を確実に映画世界にひたらせる、絶大なる効果を上げるものだった。それでも“ヒロイン”お岩(若杉嘉津子)にはときに抒情的な旋律も乗せた。音楽がお岩の悲劇をうたう。表象的なサウンド演出が目立つ設計ではあったが、このあたりはツボを得た采配だった。一方、観る者を脳内悪夢におちいらせ、泥酔させ、絢爛かつスペクタクル性に満ちた地獄絵図を見せつける『地獄』では、受け手の感情を音で逆撫でしていきながら、映画空間を正面からあおっていく実験色濃厚な鳴りを要所に配置し、一線を突き抜けた中川の演出、作劇を音楽から受けて立った。まさしく中川の映画世界に相応する音楽意匠だった。
石井輝男も中川信夫とともに映画愛好家からカルト視される監督である。彼も渡辺の音楽に心を寄せたひとりだった。「鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)」シリーズの初期4作品(1957)で両者は出会った。幼年齢者層が主な観客対象となるこれらで渡辺は、映画全体に助勢を加えていく楽曲群を付した。渡辺が映画音楽デビューからまもなくにいわゆるスーパーヒーローものの音楽を書いていた事実は注目に値しよう。
1950年代中期、60年代の中川信夫と石井輝男の作品群と“宙明サウンド”“宙明節”は切り離せない。といっても、1970年代以降から渡辺が数多く担当したアニメ音楽、特撮TV音楽群で現在に広く通用する、聴き手の昂揚感を重要な要素にとらえた音響設計、インパクトに富んだ鳴り、日本的情緒からは一線を画すブルース系ロックサウンドを大胆に使い込んだそれらとは一味も二味も異なり、渡辺映像音楽における新東宝時代のひとつの特徴性にも差し出せる、耳にすんなりとは馴染み込まず、むしろ音響の次元に近い、やや抽象的な響きを立てて映画世界に相応する空気感を聴覚面から呼び込む“宙明サウンド”である。鑑賞の機会が比較的得やすい、石井輝男の前出「鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)」シリーズや『女王蜂の怒り』(1958)『女王蜂と大学の竜』(1960)、『白線秘密地帯』(1958)『黒線地帯』(1960)『黄線地帯(イエローライン)』(同)、通称「ライン」シリーズなどを彩った音楽形態からもそれは十分につかみ取れる。
渡辺が新東宝で自己の映画音楽術を研鑽していった成果は、1950年代後期から進出した日活映画の現場でさっそく機能性を発揮していく。彼の日活進出は、親交のあった映画音楽指揮者・吉澤博の紹介によるものだった。鈴木清順の『素ッ裸の年令』(1959)が初めての日活担当作である。赤木圭一郎の映画初主演作となった同作は、10代の若者たちの生態をリアリスティックに、アナーキーに描く内容だったが、渡辺は新東宝の作品を多く飾ったサウンドとはかなりスタイルを変える、音楽も存在感を正面から打ち出すフォームを敷いた。新東宝時代に種々のアプローチを試み、己の懐を拡げてきたひとつの成果であることは疑いない。『素ッ裸の年令』の劇音楽は、今までの渡辺映画音楽の正中に置かれていた効果音楽の範疇に寄り添った作風から、自己の音楽特性をより横溢させる、どこか殻を突き抜けた感を覚えさせる響きに聞こえた。
『素ッ裸の年令』の音楽は日活社内でも話題を振り撒いたのではないか。渡辺の映画音楽の仕事は日活作品が主流となっていく。日活は観客に爽快感を味わわせる青春映画、映画の楽しさを伝える歌謡映画、骨太の人間ドラマ映画、または若者受けを狙う犯罪活劇映画を大きな持ち味としていた。渡辺が日活で名コンビを組んだ森永健次郎の『太陽のように明るく』(1962)『泣くんじゃないぜ』(同)『どん底だって平ちゃらさ』(1963)『真白き富士の嶺』(同)『こんにちわ20才』(1964)『あゝ青春の胸の血は』(同)『拳銃無宿 脱獄のブルース』(1965)等々、または若杉光夫とのコンビ作『川っ風野郎たち』(1963)『サムライの子』(同)『太陽が大好き』(1966)といった作品群も含め、いずれも日活映画らしいポジティブな造りを提示してくる映画に渡辺も正面から融け込む音楽設計を採り込んだ。それぞれの作品ムードに寄り添う、観る者へ補助の役目もつとめる鳴りを映画に引き込んだ。ときにピアノの内部奏法を導入し、ミュージカルソーやヴィヴラフォン、マリンバ、マラカス、ラテン楽器、ギター、ハーモニカ、サックス、オカリナなどの正規のオーケストラ編成では耳にすることのできない楽器の音を使い込み、音色を鮮烈なものに仕立て上げた。オーソドックスな管弦楽、イージーリスニング風室内楽、ジャズ調、マンボ調、イタリアを主とした外国映画の鳴りにインスパイアされたとも解釈できる音楽様式と、映画の個性と性格をふまえた采配を行った。
新東宝作品を飾った楽曲群が、どちらかといえば効果音楽の方向性に寄る傾向を示していたと思わせるのに対し、日活作品では己の音楽個性、作風、技巧、可能性を探求していった印象が強い。新東宝での中川信夫、石井輝男たちとの協同作業を多く経験することで自己の音楽基盤が強固、広大なものとなり、その土壌を存分に活かしたうえで自信とゆとりを持って日活での仕事にのぞんでいったと受け取れる。製作者や監督、音楽スタッフ側からの要望にいかなる次元からも対応できるキャリアとテクニックが身についていたからでもあろう。
1970年代が中頃にさしかかる時期の1973(昭和48)年に音楽を手がけたアニメーション作品『マジンガーZ』(白根徳重監督/ダイナミックプロ、東映動画)を大きなエポックとしてやがて訪れてくる“宙明ルネッサンス”、“TV特撮・アニメーション劇音楽の巨匠”に向かっての邁進の原動力となった“宙明サウンド”“宙明節”の萌芽をこれら日活作品の響きのなかから探し出すことも可能であろう。“宙明ワールド”のプロトタイプとも形容したくなる音楽世界が、断言しにくい部分もあるのだが、彼の日活担当作から見出せるのだ。
1970年代以降、渡辺の映像音楽は“宙明サウンド”“宙明節”のキーワードとともにあまたの子供たちを虜にしていった。1960年代中期における渡辺貞夫との邂逅、彼から得た教え、より研ぎ澄まされたジャズ感覚の導入も渡辺音楽の小さくない成分となった。渡辺宙明の音楽があったからこそ特撮アニメ作品に付随する劇音楽、効果音楽の価値観がここまで上がった。これは疑いの余地がない。
本年(2015年)8月、卒寿を迎えた日本映像音楽界の泰斗・渡辺宙明は、1950年代後期より新東宝のプログラム・ピクチャー、日活の娯楽映画、人間ドラマ映画、東映京都や大映京都の時代劇映画、ファンタジー映画などで己の音楽技法を研鑽し、磨き上げ、彫り込み、映画音楽作曲を数多く積み重ねることで自己の音楽美学を確固たるものに築き上げていった。“宙明サウンド”“宙明節”は、若かりし頃から今現在に至るまで、彼が映像音楽の仕事に生涯を捧げてきた何よりの証左である。結果である。そのような視点から渡辺の映画音楽作品をあらためて見つめていくと、今まで接することのできなかった、新たな渡辺映像音楽の裾野が眼前に拡がってくるであろう。 (小林淳)
渡辺宙明プロフィール
1925年(大正14年)8月19日愛知県名古屋市で生まれる。旧制八高理科を卒業後、東京大学文学部心理学科に学ぶ。卒業論文は「旋律的音程の力動性に関する実験心理学的研究」。作曲を團伊玖磨と諸井三郎に、ジャズ理論を渡辺貞夫に師事。
作曲家デビューはCBC(中部日本放送)のラジオドラマ「アトムボーイ」(1953年)からである。映画音楽作曲家としては、新東宝の映画「人形佐七捕物帖 妖艶六死美人」(1956年)や「鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)」(1957年)などを皮切りとして、現在までに200作を超える映画に作曲した。
1972年に手がけた「人造人間キカイダー」と「マジンガーZ」がきっかけとなり、特撮やアニメの仕事も増え、世界的な人気を博す。東映スーパー戦隊もののスタートとなった「秘密戦隊ゴレンジャー」(1975年)から続くシリーズでは、BGMだけでなく、挿入歌の作曲者としてもこのシリーズを支え続けている。また金字塔を打ち立てた「宇宙刑事ギャバン」(1982年)から続くメタルヒーローシリーズは、最近も宇宙刑事Next Generation(2014年)で主題歌、BGMを作曲して高く評価を受けた。CM音楽やゲーム音楽も手がけており、戦後のラジオドラマからスタートして、メデイアの変遷とともに作曲を続けている作曲家である。2012年には長年の功績を東京アニメアワード第8回功労賞で、2015年にはジャスラック正会員50年を顕彰された。現在、90歳を迎え、数多くのイベント、CD企画が進行中である。
関連URL
日活株式会社のニュースリリース http://www.nikkatsu.com/news/201508/002051.html
渡辺宙明公式ページ http://www7b.biglobe.ne.jp/~chumei_watanabe/
生誕90年 渡辺宙明Facebook https://www.facebook.com/chumeiwatanabe
1925年(大正14年)8月19日愛知県名古屋市で生まれる。旧制八高理科を卒業後、東京大学文学部心理学科に学ぶ。卒業論文は「旋律的音程の力動性に関する実験心理学的研究」。作曲を團伊玖磨と諸井三郎に、ジャズ理論を渡辺貞夫に師事。
作曲家デビューはCBC(中部日本放送)のラジオドラマ「アトムボーイ」(1953年)からである。映画音楽作曲家としては、新東宝の映画「人形佐七捕物帖 妖艶六死美人」(1956年)や「鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)」(1957年)などを皮切りとして、現在までに200作を超える映画に作曲した。
1972年に手がけた「人造人間キカイダー」と「マジンガーZ」がきっかけとなり、特撮やアニメの仕事も増え、世界的な人気を博す。東映スーパー戦隊もののスタートとなった「秘密戦隊ゴレンジャー」(1975年)から続くシリーズでは、BGMだけでなく、挿入歌の作曲者としてもこのシリーズを支え続けている。また金字塔を打ち立てた「宇宙刑事ギャバン」(1982年)から続くメタルヒーローシリーズは、最近も宇宙刑事Next Generation(2014年)で主題歌、BGMを作曲して高く評価を受けた。CM音楽やゲーム音楽も手がけており、戦後のラジオドラマからスタートして、メデイアの変遷とともに作曲を続けている作曲家である。2012年には長年の功績を東京アニメアワード第8回功労賞で、2015年にはジャスラック正会員50年を顕彰された。現在、90歳を迎え、数多くのイベント、CD企画が進行中である。
関連URL
日活株式会社のニュースリリース http://www.nikkatsu.com/news/201508/002051.html
渡辺宙明公式ページ http://www7b.biglobe.ne.jp/~chumei_watanabe/
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株式会社スリーシェルズ
〒170-0013 東京都豊島区東池袋5-7-6-604
TEL:070-5464-5060
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担当 西
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