特別寄稿
広河隆一氏に期待する
2011年4月27日 広瀬隆
…(前略)…
何しろ、福島県内の放射線調査によれば、二〇一一年四月下旬現在、県内の小中学校の実に七五・九%が、一般公衆の被曝防止のため立ち入りを制限する毎時〇・六マイクロシーベルト(つまり年間五・三ミリシーベルト)以上の「放射線管理区域」に相当する放射線量に達していたからである。これは、福島県の学童は、原発内での労働と同じ環境に置かれているという、信じ難い危険な状況なのである。
一刻も早く、授業を中止して、集団で学童疎開をしなければならない状態にあるというのに、親も学校関係者も、「砂場で遊ばないように」、「外出したら衣服の汚れをとるように」などとノンキな言葉をテレビで語っている。外に出てはいけないほどの放射能汚染が広がっているのだから、子供たちは放射性物質を吸いこんでいるだろう。そこで生活することが、そもそも人間ではないということぐらい、親であれば分かりそうなものだと思うが、なぜこのようなことが起こるのだろうか。この本が出版される時には、子供たちが避難していることを祈りながら、その事情を記しておきたい。
事実を知って驚愕し、震え上がっている人がいる反面、テレビの垂れ流す“嘘”が事実を報道していると信じきっているから、このようなことが起こるのだ。日本人のなかで、半分ぐらいの人たちは、まったく何事もないかのような精神状態で、福島第一原発事故などなかったかのように、平穏な生活に戻っているのは、そのためである。この人たちは、現在の被曝量がどれほど危険であることを知らない。それだけではなく、いつ原子炉が再び暴走するのではないかという不安など、微塵も感じていないようである。
自分が被害者になるというのに、この人たちの楽観主義と無知には、言葉を失う。
あなたが被害者なのですよ、と声をからして叫びたい。
そもそも、二〇一一年三月一一日に東北地方三陸沖地震が発生し、東日本大震災へと発展するなか、その夜から福島第一原発に重大危機が訪れた。日本の国民にとって、原子力の危険性についての予備知識がなかったところに、その時にテレビに登場した原発推進の御用学者たちが全員、楽観論をしゃべりまくったため、日々の生業に追われる人間という生き物を考えれば、視聴者がだまされても致し方ない結果だったのである。しかしそのあと、御用学者たちの言葉がすべて嘘だったことが一日一日と実証されていながら、国民の半数が、まだその無能者たちに命を預けようとしていることは、どうしても信じ難い。
いや、事態はもっと深刻である。今まさに、これからわが国で起ころうとしている出来事は、その楽観的な人たちの運命をも、地獄に導く第二・第三のフクシマだからである。
この世論の半数を握って、なお現在もまだ思考しようとしない人たちが目覚めないことには、次の大惨事を食い止めることが困難である。その人たちに捧げる書が、広河隆一氏の本書『暴走する原発』であると信じる。
…(中略)…
この重松報告に怒り狂い、敢然と挑戦し、その嘘報告をズタズタに破り捨ててきた広河氏が、現在の福島第一原発事故の被害現地に飛んだのは、地震発生から二日後の三月一三日であった。その日、双葉厚生病院に被曝者が出ているというニュースが流れ、驚いた私がその人たちの居場所を地図で調べていた時、夜になって広河氏からこわい電話が入った。そうして、原発から三キロメートル以上も離れたその病院で、すでにとてつもない放射線量が測定されているという。いや、持参したガイガーカウンターの針が振り切れて、「測れないほど高い放射線量である」という。チェルノブイリよりひどい、という悲鳴のような声であった。まさかと思ったが、事実だと知って体が震えた。
それこそ、事故発生当初から大量の放射能を放出した福島第一原発の「レベル7」という、国民にひた隠しにされてきた「高濃度汚染の事実」を示すわが国における第一報であった。
その一〇日後の三月二三日、彼が主宰する「DAYS JAPAN」の講演会が早稲田奉仕園で開かれ、彼の現地報告のあと、私が福島第一原発の事故解析をおこなった。その時、私が聴衆に言ったのは、「広河隆一と広瀬隆が揃って話をするということは、日本にとって最悪の事態ですよ」という言葉であった。彼と私が最初に出会って、原発問題に共に取り組んだのが、チェルノブイリ原発事故の二年後(一九八八年)に、講談社から創刊された「DAYS JAPAN」の特集「四番目の恐怖」だったからである。
二三日の講演会後も、広河氏と仲間のジャーナリストたちは、再び危険な福島県に戻って、県内の各地を調べ回り、住民に会うたびに、急いで避難するよう呼びかけてきた。彼から電話があるたびに、私は「どこにいるんだ。何をしているんだ。危ないから早く帰ってこい」と言ったが、彼らは命懸けで事故現場近くまで近づいていった。どこまで行ったか、私は知らない。
それは彼が、チェルノブイリの被害者の苦しみを知っているからである。東京のスタジオで、「放射能は安全です」と言って平然としている、あの唾棄すべきキャスターたちとの違いが、そこにある。
…(中略)…
だが、私には、広河氏のように被害者を訪ねて、その苦しみに耳を傾ける勇気がない。正直な気持を書くなら、日本の国内でこれから起こる被害について、私は、「もう分っている」と心の中で叫び、知りたくないのである。それはあまりに辛いことだからである。汚染された野菜、汚染された水田、汚染された海、その放射能汚染の数値も知りたくない。誰にも調べてほしくない。その被害者は、私の孫たちだからである。そして彼らの友達である。私はあの子たちに顔を向けられないのだ。事故が起こってから何度も、「許してくれ」と心の中で叫んできた。
「ごめんよ。許してくれ」と、高校生の孫にあやまった時、孫は「ジイジは悪くないよ」と言ってくれた。
では、私たちはこれから、どうすればよいのだろう。
広河氏のような一人の人間がいなければ、誰にも、汚染した現地での、放射能の危険性が分らないことは事実である。とりわけ福島県内の児童たちが通う学校の被曝が放置され、原発内の労働者と同じ環境に置かれているすさまじい現実が明らかになった今、この子供たちを急いで救い出さなければならない。
一体これから、田畑や水田で働く農家や、海で働く漁業者たちは、どのようにこれを克服してゆかなければならないのだろう。
チェルノブイリ原発事故後のヨーロッパ全土と同じように、表土を削り取らなければならないだろう。
海洋汚染は、もう取り返しがつかないところまできた。
みなの力で、食べ物の汚染を監視しなければならない。
その深刻な問題は、福島県内だけのことではなく、私の住む、福島第一原発から二五〇キロメートル離れた東京の食品関係業者や、レストラン、町の魚屋さんたちに対して、すべての人の日常生活に関わってくることである。誰かが、その現地の汚染を調べて、みなを救わなければいけない。絶望的だった私は今、気を取り直して、そのために動こうと決意した。必要なら、学童疎開を、国民運動にしなければならない。しかしそれには、測定データが必要だ。
広河氏にも、人生最後の調査をお願いしなければならない。頼むから、やってくれ、と懇願する気持である。広河氏はたびたび汚染地帯を歩いてきたのだから、もうすでに、彼の被曝量そのものが、かなりのレベルまで行っているのではないかと、そのことが不安である。しかし、それでも、やってもらいたい。頼む。一緒に子供たちを救おう。
『暴走する原発~チェルノブイリから福島へ これから起こる本当のこと』広河隆一/著
5月22日発売 定価1,365円 ISBN4-09-388190-6
問い合わせ:小学館出版局 小川美奈子 03-3230-5450
広河隆一氏に期待する
2011年4月27日 広瀬隆
…(前略)…
何しろ、福島県内の放射線調査によれば、二〇一一年四月下旬現在、県内の小中学校の実に七五・九%が、一般公衆の被曝防止のため立ち入りを制限する毎時〇・六マイクロシーベルト(つまり年間五・三ミリシーベルト)以上の「放射線管理区域」に相当する放射線量に達していたからである。これは、福島県の学童は、原発内での労働と同じ環境に置かれているという、信じ難い危険な状況なのである。
一刻も早く、授業を中止して、集団で学童疎開をしなければならない状態にあるというのに、親も学校関係者も、「砂場で遊ばないように」、「外出したら衣服の汚れをとるように」などとノンキな言葉をテレビで語っている。外に出てはいけないほどの放射能汚染が広がっているのだから、子供たちは放射性物質を吸いこんでいるだろう。そこで生活することが、そもそも人間ではないということぐらい、親であれば分かりそうなものだと思うが、なぜこのようなことが起こるのだろうか。この本が出版される時には、子供たちが避難していることを祈りながら、その事情を記しておきたい。
事実を知って驚愕し、震え上がっている人がいる反面、テレビの垂れ流す“嘘”が事実を報道していると信じきっているから、このようなことが起こるのだ。日本人のなかで、半分ぐらいの人たちは、まったく何事もないかのような精神状態で、福島第一原発事故などなかったかのように、平穏な生活に戻っているのは、そのためである。この人たちは、現在の被曝量がどれほど危険であることを知らない。それだけではなく、いつ原子炉が再び暴走するのではないかという不安など、微塵も感じていないようである。
自分が被害者になるというのに、この人たちの楽観主義と無知には、言葉を失う。
あなたが被害者なのですよ、と声をからして叫びたい。
そもそも、二〇一一年三月一一日に東北地方三陸沖地震が発生し、東日本大震災へと発展するなか、その夜から福島第一原発に重大危機が訪れた。日本の国民にとって、原子力の危険性についての予備知識がなかったところに、その時にテレビに登場した原発推進の御用学者たちが全員、楽観論をしゃべりまくったため、日々の生業に追われる人間という生き物を考えれば、視聴者がだまされても致し方ない結果だったのである。しかしそのあと、御用学者たちの言葉がすべて嘘だったことが一日一日と実証されていながら、国民の半数が、まだその無能者たちに命を預けようとしていることは、どうしても信じ難い。
いや、事態はもっと深刻である。今まさに、これからわが国で起ころうとしている出来事は、その楽観的な人たちの運命をも、地獄に導く第二・第三のフクシマだからである。
この世論の半数を握って、なお現在もまだ思考しようとしない人たちが目覚めないことには、次の大惨事を食い止めることが困難である。その人たちに捧げる書が、広河隆一氏の本書『暴走する原発』であると信じる。
…(中略)…
この重松報告に怒り狂い、敢然と挑戦し、その嘘報告をズタズタに破り捨ててきた広河氏が、現在の福島第一原発事故の被害現地に飛んだのは、地震発生から二日後の三月一三日であった。その日、双葉厚生病院に被曝者が出ているというニュースが流れ、驚いた私がその人たちの居場所を地図で調べていた時、夜になって広河氏からこわい電話が入った。そうして、原発から三キロメートル以上も離れたその病院で、すでにとてつもない放射線量が測定されているという。いや、持参したガイガーカウンターの針が振り切れて、「測れないほど高い放射線量である」という。チェルノブイリよりひどい、という悲鳴のような声であった。まさかと思ったが、事実だと知って体が震えた。
それこそ、事故発生当初から大量の放射能を放出した福島第一原発の「レベル7」という、国民にひた隠しにされてきた「高濃度汚染の事実」を示すわが国における第一報であった。
その一〇日後の三月二三日、彼が主宰する「DAYS JAPAN」の講演会が早稲田奉仕園で開かれ、彼の現地報告のあと、私が福島第一原発の事故解析をおこなった。その時、私が聴衆に言ったのは、「広河隆一と広瀬隆が揃って話をするということは、日本にとって最悪の事態ですよ」という言葉であった。彼と私が最初に出会って、原発問題に共に取り組んだのが、チェルノブイリ原発事故の二年後(一九八八年)に、講談社から創刊された「DAYS JAPAN」の特集「四番目の恐怖」だったからである。
二三日の講演会後も、広河氏と仲間のジャーナリストたちは、再び危険な福島県に戻って、県内の各地を調べ回り、住民に会うたびに、急いで避難するよう呼びかけてきた。彼から電話があるたびに、私は「どこにいるんだ。何をしているんだ。危ないから早く帰ってこい」と言ったが、彼らは命懸けで事故現場近くまで近づいていった。どこまで行ったか、私は知らない。
それは彼が、チェルノブイリの被害者の苦しみを知っているからである。東京のスタジオで、「放射能は安全です」と言って平然としている、あの唾棄すべきキャスターたちとの違いが、そこにある。
…(中略)…
だが、私には、広河氏のように被害者を訪ねて、その苦しみに耳を傾ける勇気がない。正直な気持を書くなら、日本の国内でこれから起こる被害について、私は、「もう分っている」と心の中で叫び、知りたくないのである。それはあまりに辛いことだからである。汚染された野菜、汚染された水田、汚染された海、その放射能汚染の数値も知りたくない。誰にも調べてほしくない。その被害者は、私の孫たちだからである。そして彼らの友達である。私はあの子たちに顔を向けられないのだ。事故が起こってから何度も、「許してくれ」と心の中で叫んできた。
「ごめんよ。許してくれ」と、高校生の孫にあやまった時、孫は「ジイジは悪くないよ」と言ってくれた。
では、私たちはこれから、どうすればよいのだろう。
広河氏のような一人の人間がいなければ、誰にも、汚染した現地での、放射能の危険性が分らないことは事実である。とりわけ福島県内の児童たちが通う学校の被曝が放置され、原発内の労働者と同じ環境に置かれているすさまじい現実が明らかになった今、この子供たちを急いで救い出さなければならない。
一体これから、田畑や水田で働く農家や、海で働く漁業者たちは、どのようにこれを克服してゆかなければならないのだろう。
チェルノブイリ原発事故後のヨーロッパ全土と同じように、表土を削り取らなければならないだろう。
海洋汚染は、もう取り返しがつかないところまできた。
みなの力で、食べ物の汚染を監視しなければならない。
その深刻な問題は、福島県内だけのことではなく、私の住む、福島第一原発から二五〇キロメートル離れた東京の食品関係業者や、レストラン、町の魚屋さんたちに対して、すべての人の日常生活に関わってくることである。誰かが、その現地の汚染を調べて、みなを救わなければいけない。絶望的だった私は今、気を取り直して、そのために動こうと決意した。必要なら、学童疎開を、国民運動にしなければならない。しかしそれには、測定データが必要だ。
広河氏にも、人生最後の調査をお願いしなければならない。頼むから、やってくれ、と懇願する気持である。広河氏はたびたび汚染地帯を歩いてきたのだから、もうすでに、彼の被曝量そのものが、かなりのレベルまで行っているのではないかと、そのことが不安である。しかし、それでも、やってもらいたい。頼む。一緒に子供たちを救おう。
『暴走する原発~チェルノブイリから福島へ これから起こる本当のこと』広河隆一/著
5月22日発売 定価1,365円 ISBN4-09-388190-6
問い合わせ:小学館出版局 小川美奈子 03-3230-5450