『日本国最後の帰還兵 深谷義治(ふかたに よしはる)とその家族』
深谷敏雄・著
集英社刊
四六判ハードカバー、452ページ
2014年12月15日(月)発売
定価:本体1,800円+税
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-781555-9&mode=1
http://gakugei.shueisha.co.jp/
≪帚木蓬生氏(作家・精神科医)激賞!≫
「すべてが読みどころ。すべての日本人に一字一句漏らさず読んでほしい労作」
**********
第二次世界大戦時、中国戦線でスパイとして活動した深谷義治氏。
敗戦後も「任務続行せよ」の極秘指令を受け、上海に潜伏13年。
中国当局によって逮捕されるが、完全黙秘を貫き、獄中生活は20年4カ月に及んだ。
20年以上にわたる獄中生活と、残された家族の過酷な生活。
一家は不屈の精神で耐え抜き、1978年一家全員で帰国するも、家族の“戦争の爪あと”は深く...。
中国から帰国して36年。
深谷義治氏の次男がすべてを伝えるため、6年をかけて執筆した渾身のノンフィクション!
日本軍の敏腕スパイが体験した凄絶な戦争秘史。
**********
【問い合わせ先】
集英社 広報部 電話03-3230-6314
深谷敏雄・著
集英社刊
四六判ハードカバー、452ページ
2014年12月15日(月)発売
定価:本体1,800円+税
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-781555-9&mode=1
http://gakugei.shueisha.co.jp/
≪帚木蓬生氏(作家・精神科医)激賞!≫
「すべてが読みどころ。すべての日本人に一字一句漏らさず読んでほしい労作」
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第二次世界大戦時、中国戦線でスパイとして活動した深谷義治氏。
敗戦後も「任務続行せよ」の極秘指令を受け、上海に潜伏13年。
中国当局によって逮捕されるが、完全黙秘を貫き、獄中生活は20年4カ月に及んだ。
20年以上にわたる獄中生活と、残された家族の過酷な生活。
一家は不屈の精神で耐え抜き、1978年一家全員で帰国するも、家族の“戦争の爪あと”は深く...。
中国から帰国して36年。
深谷義治氏の次男がすべてを伝えるため、6年をかけて執筆した渾身のノンフィクション!
日本軍の敏腕スパイが体験した凄絶な戦争秘史。
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集英社 広報部 電話03-3230-6314
【著者プロフィール】
深谷 敏雄(ふかたに としお)
1948年、中国・上海生まれ。
深谷義治氏の次男。
1978年、一家で日本へ帰国。
島根県、京都府を経て、現在広島県在住。
本書が初めての著書になる。
****著者から****
読者の皆様へ
はじめまして。深谷敏雄と申します。
『日本国最後の帰還兵 深谷義治(ふかたに よしはる)とその家族』を書いた者です。
私の父は、第二次世界大戦中に中国でスパイとして活動。
戦後も極秘指令を受け、13年間中国に潜伏し続け、1958年、戦中、戦後に行なったスパイの容疑で中国政府に逮捕されました。
私が10歳の時です。
父は過酷な拷問を受け続け、そして私たち子供は「日本の鬼の子」と呼ばれながら、上海の地ですさまじい差別と困窮の生活を強いられることになりました。
父は中国で受刑中、面会に来られた恒松制治島根県知事(当時)にこう話していたそうです。
「釈放されたら『母を想う』という内容で本を書いて、日本の皆さんに私の波乱万丈の人生をわかっていただきたいと思います」と。
しかし、20年4カ月におよぶ受刑の後遺症と、帰国後も恵まれない生活を送ったことが追い打ちをかけ、重度身体障害者になり、99歳になった今、自らの手で本を書くことはできなくなってしまいました。
ですが、一家が体験した苦難を歴史の闇に葬ってはならないという使命感、そして叶わなかった父の夢を実現するために、私は本書を執筆する決心をいたしました。
36年前(1978年)、鄧小平元中国副首相の訪日の際に父が特赦されることが決まり、私たち家族は日本に帰ることが許されました。その時、上海で生まれ育った私は日本語がひと言もしゃべれませんでした。
しかし、帰国後、一週間も経たないうちに、私は両親を養うために、言葉もわからないまま工場で働くことになりました。
仕事をしながら、独学で日本語を覚えていくこととなったのです。
このように正式な日本語教育を受けたことがないというハンディを背負っている私には、本を書くことはまったく「任重くして道遠し」。
それは人生を懸けた新たな挑戦でありました。
実際に書き始めたのは6年前からになります。広島市の日本語教室に通い、ボランティアの先生方に添削してもらいながら、文章を書き進めていきました。
ある時、先生のひとりが添削の途中、ハンカチで涙を拭きながら、「深谷さん、涙を抑えきれないので、家に持ち帰って直したいのですが……」とおっしゃられました。
この時、私は日本人の心に通じたものを書けたのだと励まされ、夢をなし遂げる自信を深めました。
過去の自身の苦しみ、さらに父の苦しみが私の背中を押し、ボランティアの先生方の協力もあって、ついに本書を完成させることができました。
あとになって、ある方から、私の場合「中国語で本を書いて、人に翻訳にしてもらう方法もあった」
と言われました。
しかし私は、憧れてきた祖国に帰った以上、日本人としての誇りを持ち、日本語で本書を書くことしか考えていませんでした。
本書には父が監獄の中で書いた壮絶な「獄中記録」を織り込みました。
戦争が再び起きないようにと、私たち一家の強い想いも込めています。
お忙しい中かと思いますが、ぜひ読んでいただけましたら嬉しく思います。
2014年12月
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